棚の隙間

自分の好きなものを綴っていきたいと思います。

朝読書について

こんばんは。今回も気ままに思ったことを書いていきたいと思います。

今回、私が感じたことは「学校で行っている朝読書について」です。何故、このテーマが気になったのか、書いていきたいと思います。先日、私の友人と手紙でやり取りをした際に、ちょうど読書の話になりました。その時に、私はふと中学校で行っていた「朝読書」について思い出しました。

 中学校の時に行っていた朝読書は、今思えば「学校がいかにもやりそうな型にはめた朝読書」であると思いました。過去に行っていたことなので、正確にお伝えできるか分かりませんがいくつかルールがあったように思います。ルールは以下の通りです。

  1. 学級文庫に置いてある本を読むように指定されていた
  2. 自分で本を持参して読むことを禁止していた
  3. 時間は確か30分程度

 印象に残っている部分でこれくらいかと思います。自分も今書き起こしていて、随分と窮屈で、退屈そうな内容だなと思います(笑)よく自分は従っていたなと。ただ、上級生になるにつれて規則がなくなったような気がするので、恐らく一年生くらいのときかと思います。

 そもそも、朝読書を何のためにやるのかよくわかっていませんでした。恐らく、読書への入り口的な意味合いで始めたのかもしれませんが、このやり方では読書好きを増やすのは無理ではないかと個人的には思います。

 最初に書いた学級文庫ついてですが、置いてある本は私にとってつまらないものでしかありませんでした。子供のころからある程度読書に親しんできた人間としては、読む気がしません。自分の好きなジャンルの本や、タイプのようなものを理解しているのに、押し付けられた本だけ読むというのは、読書好きでも嫌がるのではないと思います。

 次に、自分で読む本を持参して読むことの禁止というのは、今思えば本当に意味が分からない。読書の入り口を促したいのであれば、まずは自分が気に入った本、何度も読んだ本などを持ってきてもいいと思います。そもそも、読書は人に押し付けられてやるものではないと思います。新たな本への興味を示したい意図があったのだろうと思いますが、今ある個人が持っている読書の価値観を否定してはいけないと思います。

 最後の時間についてですが、はっきり言ってこれは別に何とも思っていませんでした。ただ、制約が多かったせいか、興味がない人は時間をつぶすだけになってしまい、やる意味が全くないと感じたことはあります。

 他の中学校がどのような朝読書を行っているのか分かりませんが、私が思うに「読書は自由でもいい」と思います。誰の指図も受けず、自由気ままに読むことが楽しみでもあり、醍醐味であると思います。それが読書の楽しさの根本ではないかと思います。読書教育をするのであれば、まずはそこからだということを生徒や、先生にも認識として広まってほしいと思います。

 

 長々語ってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。また、何かテーマを見つけて気ままに書いていきたいと思います。