棚の隙間

自分の好きなものを綴っていきたいと思います。

絶望的な世界に生きる私を含めた世界へ~抱負も兼ねて~

 私は絶望してないからって思う人はいるかなとは思ったけど、敢えてこのタイトルにした。新年からこんなタイトルで申し訳ないけど。

 貧困の犠牲になるのは時間の問題でも有るように感じるし、老後だって心配だ。社会自体に余裕がないから、自己責任でなんでも終了だし、貧困や老いよりも気候変動で、先に自分の命がなくなるかもしれない。こんな世界で絶望しないまでも、ネガティブにならないのは難しいんじゃないかと思う。個人的にだけど。

 絶望を感じるパターンみたいなものがあって、それを見たり、聞いたりした時に私は絶望を感じるのだと最近理解するようになった。

 例えば、働くこと自体は嫌いではないけれど、職場環境が悪かったり、どんなに頑張っても給料がこの先上がらないと分かっている時とか。あと、単純に給料が生活できるレベルではない時とか。自分が体験しているだけではなくて、見聞きするだけでも絶望感を感じる。そんなのどこでも一緒だし、みんなそんな感じだよと言われれば、「ああ、まあ、そうだね」というんだけど。心の中では、「いや、納得しちゃダメでしょ」って思う自分もいる。副業したり、色々方法があるんだろうけどさ。納得できないんだよね。副業とか、何か他に方法はないかと考えること自体は悪いことでないし、そう考えるのは普通だと思うけど。そもそも、政治が悪いからこんなことになっているんじゃん!って思ったりする。副業しないから、貯金をしなかったから、自己責任という言葉で片付けるのはどうなのか。そういう諦めているような雰囲気も、絶望感を感じる。私が勝手に絶望しているだけだけど。

 例え話が長くなってしまったけれど、兎に角諦めているような雰囲気と、社会構造の問題を見聞きしたりした時に、自己責任の言葉で片付けてしまう世間という圧力に絶望感を感じてしまっている。大抵、こういう話をすると何となく敬遠されてしまうから、ブログとか、SNSで呟いているけれど、本当はもっと皆が意識的に話をすることが大事なんじゃないかと思う。自分の生活に関わることだから。

 新年からこんな重たいテーマでブログを書くことになるとは思わなかったけれど、個人的な私の目標として、もっと自分の意見を発信出来たらいいなと思う。ブログをこまめに書くとか。今年から、毎日できたことを自分の手帳に書くことにした。今年やりたいことも20個書きだした。達成感が得られればいいと思う。今年も一年、頑張りたいと思う。